日本橋動物病院だより

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40万に1の確率 – 猫の注射部位肉腫 –

桜の木が薄い花の色を残して、緑に変わりつつありますね。晴れると気温も上がりますし、このまま寒くならないといいのですが、どうでしょうか。

猫さんが来院しました。

背中にビー玉くらいのコブがあります。

このようなときには、注射針を使って細胞を少しだけ取りまして、それを顕微鏡で観察します。針生検と言ったり、ニードルバイオプシーと言っています。

今回も同様に、まずは針生検を行いました。

炎症細胞と呼ばれる細胞が見られ、腫瘍を疑わせるような細胞は見られませんでした。

じきに小さくなる、このようなコブは頻繁に見ますので、今回もそうだと判断しました。

大きくなるようでしたら、また見せてくださいね。

少しでも腫瘍の疑いがあれば、決して言うことのないコメントです。

腫瘍でしたら即、手術で取ることを勧めます。

判断が確定的ではなくても、疑いがあれば、治療目的ではなくても、検査目的でも手術をお勧めします。

それからしばらくして、再度のご来院。

コブが大きくなって、別のところにもう一つできました。

炎症では起こる可能性が極めて低いできごとです。

これは腫瘍かも知れない。

はじめに取れた細胞が炎症細胞だったことは間違いがないことですので、そのような腫瘍はどのような腫瘍か。

獣医師であれば誰でも知っているものに、猫の注射部位肉腫(Feline Injection-Site Sarcoma)というものがあります。これは広い範囲に炎症が起こります。

もしこれだとしますと、針生検では間違った判断をすることがありますので、針ではなく、もっと大きな塊で細胞を取る必要がありました。

2個目のコブには針生検を行わずに、手術をして広く取り除く必要があるとお話をしました。

猫の注射部位肉腫は、これまでワクチン関連性肉腫とも呼ばれ、ワクチン接種部位に起こることがあるとされてきました。今では、ワクチンに限らず、マイクロチップや長時間作用型の抗生物質やステロイドでも起こるとされています。ワクチンも白血病を入れた混合ワクチンや狂犬病ワクチンで起こるとされます。

そして注射から肉腫と診断されるまでの期間は4週間から10年です。他には、2年以内に起こるという別の報告もあります。

この猫さんには、当院で4回のワクチン接種歴があります。

ちょっと詳しいお話になりますが、注射部位肉腫を起こしやすいとされるワクチンには、アジュバントと呼ばれる、ワクチン効果を高める成分が入っていることが多いと報告されています。また、不活化ワクチンと呼ばれるものに出やすいとされます。

この猫さんに注射したワクチンはいずれも同じもので、3種混合ワクチンです。

それはアジュバントを含まず、3種のうち不活化成分は1種類のみです。

おそらく、これまでわかっている情報によりますと、最も注射部位肉腫が起こりにくいワクチンと言えます。

まだ確定診断(病理診断)ができていませんので、今回のコブがそうだったのかどうかは不明ですが、手術を行ったときの印象としましては、ほぼ間違いなくそうなのではないかと考えています。

ワクチンの製造元に問い合わせをしました。

すると即日担当者が来られ、色々なお話を伺うことができました。

このような、ワクチンや薬を使って起こったできごとは、農林水産省に報告することになっています。

できごととワクチンや薬の関係が確実ではなくてもです。

そしてこの情報は誰でも見ることができます。

担当者は、お知らせをもらってから48時間以内に報告する必要があるとのことで、即日来院していただけたようでした。

そこでのお話です。

このワクチンはこれまでに日本国内で200万本売れたそうです。

その中で、このワクチンで注射部位肉腫が起こったと確定されるものはないまでも、その可能性があるのは1件、そして否定は仕切れなまでも、関連は低いとされるものが4件あるそうです。

仮に5件あったとしましても、40万件に1件の割合になります。

注射部位肉腫の発生頻度は、1000件から10000件に1件とされますので、このワクチンでは起こり難いと判断できます。

いずれにしても、はっきりとした原因は不明です。

どのワクチンで起こったのかは追求できません。

ワクチンが原因だという確定も難しいものではあります。

手術前の飼い主さんとのお話です。

はじめ生検で炎症と判断してしまったことを再度お話しました。

炎症という判断をしながら、かなり大きく取り除かなければならないコブということで考えると、注射部位肉腫というものが考えられるというお話もしました。

おそらく当院以外では注射は受けていらっしゃらないはずです。

そしてこの肉腫はとても悪性度が高く、余命は数年からもっと短いこともあるとお伝えしました。

手術では、とにかくコブを含め、周りもできるだけ広く取り除きました。

周りは皮膚ですからある程度広く取り除けますが、底の方は筋肉ですので、限界があります。

それでもできるだけ深く取り除きました。

見た目に痛々しい手術跡になりましたが、取り除けたのではないかと考えています。

あとは、確定診断と取り除けたかの判断のための病理検査待ちです。

かなり大きめに切除しましたし、それも2か所でしたから、術後経過をしっかりと看るために1泊だけ入院してもらいました。

退院の日、手術の翌日ですが、飼い主さんがある手帳をお持ちくださいました。

この猫さんは当院に来られる前に海外で拾われた猫さんでした。

野良猫さんで、見つけた当時はやせ細って、色々と治療歴があったようです。

その国で何回もワクチンも受けていて、日本に来るために狂犬病ワクチンも2回受けています。

その手帳にはその詳しい記録がありました。
この手帳は置いていきますから、よかったら参考にしてくださいね。

よく海外から来日される動物が、現地の動物病院で渡される簡単な医療記録を残せる手帳でした。そこにはこれまでその海外で受けられたワクチン記録もしっかりと書かれていました。

ある程度のお話は伺っていましたが、僕が当院で接種したワクチンの話しかしなかったために他の情報を持って来てくださいました。

危険があるとしてもワクチンは打っていきたかったですしね。そうお応えくださいました。

大きな手術にもかかわらず、猫さんはとても元気です。
よくお泊まりでお預かりしますが、今回もその時と同様にしっかりと食べてくれました。
食欲がない猫さん用にとっておきの秘密兵器があるのですが、当然のように完食でした。

飼い主さんにそのお話をしますと、大きな手術の跡を見ながら、辛いところだったとは拝察をいたしますが、笑顔で、まるで何も与えていないかのように食べるんですよとお話くださいました。ちゃんと与えているんですけどね、と。

まだ病理検査の結果は出ませんが、もし僕の判断のとおりだとしますと、この猫さんは長生きが難しいと思います。どれだけしっかりとコブを取り除けていてもです。

しっかりと向き合って、飼い主さんにもできるだけの情報をご提供しながら、真摯に向き合い、僕にできることをしっかりとすること。それが今必要なことです。