日本橋動物病院だより

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犬の子宮蓄膿症を手術するとき

外に出ると目が痒くなってクシャミが出る。春のこの時期はもうしばらく続きそうです。かつては桜が散るまでの辛抱と言われていましたが、今年はどうでしょうか。そういえば、昨日花屋さんに行ったついでに桃の枝を購入しました。吹く風も、冬とは違って優しく感じます。

さて、かかりつけの動物病院から、高度医療を行う動物病院へ転院し、さらに当院で手術をしたワンコのお話。驚くほどに元気になってくれました。

初診の方から予約が入り、オンラインの問診票を2度3度と読み返していました。

かかりつけの動物病院で治療を受けているワンコです。治療の最中に、偶然見つかった新たな病気があります。飼い主さんは、かかりつけの先生から、その新たな病気を治療するためには外科手術が必要という説明を受けました。その手術はかかりつけの動物病院ではできないとのことで、紹介された高度医療を行っている動物病院へ転院。転院先での治療に不安があるとのことで、当院へ相談したいと書かれています。

うちは一次診療を行う町の動物病院です。高度医療を専門的に扱う動物病院からの転院は、何か難しい問題を抱えている気がします。

来院された飼い主さんの表情は、とても心配そうな、どうしたらよいのかわからないような、困ったような、そのように見えました。

お話を伺うと、いくつかの病気があるようです。治療中の病気以外の、新たな病気や症状は、次のようなもの。

・子宮蓄膿症

・貧血

・陰部のデキモノ

子宮蓄膿症は、卵巣からのホルモンによって子宮に異常が起こり、膿がたまってしまう命に関わる病気です。自然に治ることはありません。子宮蓄膿症の治療には、外科手術が必須です。一時凌ぎのような方法がないわけではありませんが、それは治療と言えるものではありません。

この子には、現在治療中の、外科手術を難しくする疾患もあります。この点が、かかりつけの動物病院も、高度医療の動物病院も、手術を躊躇する原因です。その疾患があるが故に、手術後の傷の治りがよくないと言われたとのことでした。癒合不全とか、癒合遅延と呼ばれます。

身体検査をすると、陰部のデキモノが気になります。小さめのミカンくらいの大きさです。結構な大きさがあります。

飼い主さんは、陰部のデキモノについては、今回の件で知らされていたとのことです。しかし、それぞれの動物病院が、このデキモノについて、どのような治療計画を考えているかは聞かれてはいないようでした。

長い間、薬を飲んで治療をしている病気があり、その病気のせいで、手術が困難と判断されているようです。かかりつけでは、手術ができない。高度医療を行っている動物病院では、輸血をしながらの難しい手術だと言われている。

僕の考えの基本は、病気はシンプルなものが多いということです。確かにいくつかの病気が同時に進んでいることはあります。それより多いのは、1つの病気が複数の症状をみせていることです。複数の症状が、一つの線にならないかを常に考えます。

子宮蓄膿症と陰部のデキモノは、本来関連性があるものです。卵巣からのホルモン異常によって、子宮蓄膿症が起こったり、陰部に腫瘍をつくったりする可能性があります。それならば、最も単純な手術で解決するはずです。子宮蓄膿症の治療である、卵巣と子宮を摘出する手術で、このデキモノが小さくなることが期待されます。

かかりつけの動物病院でも、高度医療を行う動物病院でも、一通りの検査は行われたようでした。体に腫瘍や他の病気があるなどの話はありませんでしたか?飼い主さんにお尋ねすると、そのような話はなかったとの回答です。

手術計画は、卵巣と子宮を取り除くという極めてシンプルなもの。

そこで期待されるのは、子宮蓄膿症の治療と陰部のデキモノが小さくなることです。貧血その他の問題は、その後に対処することにします。最優先事項から治していく計画です。

そこで、ひとつ問題が生じました。

もうしばらくすると、飼い主さんが、海外におでかけとのこと。短期間ではありますが、帰国まで待てないかという相談です。

命に係わる病気。手術をそこまで延期するのは、リスクが高いと判断しました。でも、すぐに手術するのは、まだワンコの体調面で準備ができていません。数日間内科治療をして、海外へお出かけされる3日前には手術をする提案をしました。

手術後の様子を2-3日は見ていただいてからの出国という計画です。

おおよそ5日ほど薬を飲ませてもらってから来院していただきました。血液検査の結果は、薬を飲む前よりも良くなっています。予定どおりに手術をすることにしました。

ご家族は、必ずしなければならない手術でも、気落ちが決まらないものです。それでも今日は、延期できないところまできています。託してお帰りになりました。不安と、割り切りと、覚悟と。そのような感じです。

点滴をしながら麻酔をかけました。手術台に横に寝かされたワンコの意識が、ゆっくりと落ちていきます。目を開けているのも限界のようです。血液検査結果が良化しているとはいえ、体調が決して良いわけではありません。このような場合には、麻酔も少ない量で効いていきます。

気管内挿管という処置で管を喉に通して、麻酔器に繋いでいるので、呼吸は一定のリズムに落ち着きました。

動物看護師がワンコのお腹、手術をするところを消毒してくれている間に、手洗いをして、滅菌した手袋をつけます。

手術の前のこの時間は、それなりに緊張するものです。何年やっていても、慣れませんね。

ほぼ 初診のワンコ。2件の動物病院の後で3件目。安請け合いをして、もしものことがあれば、ご家族は悲しみとともに、後悔されるでしょう。どの手術も結果だけが評価対象です。全力でがんばりましたが、力が及びませんでした。そんな言葉を受け入れてもらうようなことではありません。絶対に元気にしてお返ししなければならないのですが、相手は生きているワンコ。予想をしていないできごとをいくつも想定して、それぞれに対処方法を準備して。

そのような場面では、過去に手がけた多くの成功例は、気持ちの、ちょっとした支えにはなります。が、手術というのは毎回まったく別物で、全てゼロからのスタートです。これまでの続きではありません。

さて、手術開始です。お腹の皮膚をメスで切開します。直線的な切り傷の、ところどころに現れる砂粒ほどの出血を電気メスで止血をしながら、皮膚、皮下組織、お腹の筋肉と深く切り進めていくと、小腸や膀胱とともに、目標とする子宮が現れました。

右の卵巣がかなり大きく腫れています。おそらくは腫瘍です。手術の大筋は、卵巣へ続く血管を出血なく処理すること。卵巣が大きいと、出血しやすくなっているので、慎重な操作が必要です。もし大きな血管から出血があれば、リカバリーがとても難しくなります。それは絶対に避けたい。

このようなときにとても役に立つのが超音波メス。ピンセットのようなもので血管を挟んで、スイッチを入れると、挟まれたところに超音波の摩擦熱が発生し、血管に封がされる仕組みです。

このような手術機器も万能ではありません。過信は禁物です。うまくシールされずに、大量に出血することも想定しておかないと、もしものときに対処できません。まあ、そんなことは起こらないはずなんですけどね。それでも、緊張感の中で、確実に止血ができていることがわかるまでの数秒間は息を止めて、瞬きもできません。必ず二重、三重の安全策を準備して手術を進めます。

以前に手術を学ばせていただいた、ヒトの肝臓手術の先生は、このような医療機器をできるだけ使わずに、丁寧に手仕事を繰り返されていました。そこには、高い技術があり、より確実な方法ということで、機械の不確実性よりもご自身の手を一番に信じての選択だったというのが感想です。

だから私も、機械を使うときには、不具合を想定します。上手に動作しなかったらとか、止血されるバズのところで、出血が起こったらとか。機械に頼りっきりになることはありません。

この超音波メスを使うと、独特な匂いがします。他では嗅ぐことのない匂いです。これまで、超音波メスで問題が起こったことはありません。そのせいか、この匂いは、血管が無事に処理されているという安心感とリンクしていて、心にゆとりをもたらしてくれます。

まあ、ちょっと変ですよね。超音波メスの匂いで気持ちが落ち着くというのは。獣医師は、どこか頭のネジが飛んでいて、アドレナリン中毒か何かの異常者が多いんですよね。そうではないと、生きている動物にメスを入れ、絶対に、もう絶対に失敗の許されない、とても危険度の高いことを何があっても最後までやり遂げないといけないわけですから。

卵巣は脂肪に包まれています。脂肪の塊の中にある卵巣を指で確認します。脂肪の中なので、目では見えません。触った感触だけが頼りです。卵巣を取り切らず、一部でも残してしまうと、その後に発情期がやってきたりして、健康上の問題になることがあります。指に卵巣の形が伝わるので、取り残すことがないように特に注意が必要な場面です。

卵巣に繋がる血管を切り離し、子宮に繋がる膜を電気メスで止血しながら切り離したあと、左の卵巣の処理に取り掛かります。脂肪の中の卵巣は、親指、人差し指、薬指の3本で触ってみると、中に小ぶりの卵巣があることが確認できました。右とは異なり、左側の卵巣の大きさは正常範囲のようです。右と同じように、血管を丁寧に取り扱いながら、超音波メスで切断したところで、手術の9割は終わっています。ここまでくると、やっと周りが見えるようになるんですよね。それまでは、瞬きをしているか、息をしているかさえよくわからないくらいに集中しています。

左右の卵巣と子宮の血管を全て確実に処理して、それら全部を取り出しました。再度出血がないかを確認してお腹を縫合します。腹筋、皮下組織、皮膚を3層をそれぞれ縫合して手術は終わりです。

もしも、このときにお腹の中に出血があったら、どこの血管からかを探し出して止血しなければなりません。これまで術後のアクシデントには遭遇したことがないのは、単に幸運だったと思っています。もし最終段階で、予想していなかった出血が見つかり、さらなるリカバリー処置が必要になったらと想像するだけで寿命が縮む思いです。むしろ、寿命の何年分かを引き換えに、神様に修復してもらえるなら、喜んでそうしてもらうかも知れません。それくらい困難なできごとです。

手術が終わってからだいたい5分すると、多くのワンコは麻酔から覚めます。この子も速やかに呼吸を始めたので、人工呼吸器をはずしました。ゆっくりと頭をあげてくれるようになると、もう安心です。

ここからは、急速な回復劇が始まりました。食欲旺盛、元気いっぱい。少し気分転換をさせようと散歩に連れ出すと、グイグイとリーシュを引っ張ります。血液検査の結果も、日毎に改善がみられるようになりました。

その頃、飼い主さんは海外にいらっしゃいます。容態の報告方法はSNSです。どのように過ごしているかをお知らせしながら、治療を進め、帰国を待ちます。

お迎えの日。つまりは、飼い主さんの帰国日の午前中にお電話があり、予定どおりに迎えに来られることになりました。

状況と特別な注意事項もないことをお話しし、次の来院日を予約していただいて退院です。何事もなければ、退院から10日目に抜糸をします。私は、この抜糸の日を心待ちにしていました。さらに元気になって、今回の手術前からあった持病が改善しているはずと期待しているからです。

抜糸の日。とても元気だということは予想どおり。さて、持病の方は。解決したい持病は3つです。一つは解決しています。残り2つは、さらに時間が必要ですが、もともとの持病に対しては、現段階での治療は必要ありません。

元気で食欲があって、力強くて。言うことなしに見えますが、この飼い主さんとは、まだこれから対話を増やさないといけない印象です。私があまりにも楽観的に話すことに対し、十分な信頼が得られていない気がしています。

普段、飼い主さんにお話しする内容は、最も良い見通しと、最も悪い見通しです。しかし今回は、かなり重い病状にもかかわらず、全部治るような話しかしていないのを気にされているのかも知れません。

重い病気だから、何件かの動物病院に相談され、最終的に当院に来られました。私がやや楽天家のように映ったのかも知れません。とても緊張して手術をした。しかし、このことは、敢えてお話しすることではありません。一つの仕事が終わると、力が抜けるようにホッとします。