日本橋動物病院だより

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獣医師という仕事 – ストレス症候群 –

12月初旬。街に流れるクリスマスソングに違和感を感じなくなる季節です。早いと11月に入ったらすぐに聞こえてきますからね。

今回の話は、ストレス症候群。タイトルから、獣医師のストレスの話かと思われる方もいるかも知れませんが、そうではありません。

どの時代でも、どんな人でも、何かしらのストレスには晒されているのでしょう。ストレスは主観的な要素が大きいために、これを客観的に数値化することは困難な気がします。ストレスの程度は個々に絶対的なものなので、自分以外の人との単純な比較は容易でありません。

わたしは幸いにも、ストレスというものを意識する機会が少なく、毎朝、概ね良い目覚めができています。

さて、本題に入ります。タイトルのストレス症候群とは、豚の病気のことです。

豚さんを家族に迎え入れて、大切に育てる方がいらっしゃいます。都内にも結構な数の豚さんがいて、家庭の中で生活をしています。

2018年に、26年ぶりに豚熱という伝染病が国内で広がりはじめ、いまだに収束の気配がありません。養豚場をはじめとする人間の生活環境から隔絶された野生動物、イノシシによって受け継がれてきた病気が、長い年月を経て私たちの目に見えるところで広がったということです。

豚熱に対しては、ワクチンがあります。豚熱ワクチンは行政によって管理されているため、一般の獣医師は扱うことができません。各自治体は、家畜を中心にワクチン接種を行っているところです。東京都でも、行政によって家畜へのワクチン接種が進められている中、家庭で飼われている豚さんには、特定の動物病院での接種が行われるようになりました。

特定の動物病院とは、豚熱ワクチンを接種するための、都知事認定獣医師がいる動物病院です。僕も、都知事認定獣医師として、一般家庭にいる豚さんに豚熱ワクチンを接種しています。

そのためか、東京都心にある当院でも、豚さんを診察する機会が増えてきました。

今回は、その豚さんのストレスについての話です。豚さんは、ストレスが致命傷になることがあります。その過程をできるだけ単純化してみます。

・ストレスがかかる

・アドレナリンが出て、血管が縮む

・筋肉の血管も縮み、流れる血液が減る

・血液中のカルシウムイオンが筋肉内に入り、筋肉が縮み続ける

・筋肉が壊死する

・筋肉内のミオグロビンが血液中に流れ出す

・ミオグロビンを処理できなくなった腎臓が傷つく

・筋肉内のカリウムイオンが血液中に放出される

これによって、

・高カリウム血症

・不整脈、徐脈、心停止

・腎不全

・低カルシウム血症

が起こり、生命の維持が困難になる。これは、全ての豚というよりも、遺伝的素因をもつ豚にみられやすいものです。

このように、犬や猫には見られない病気が豚にはあります。

獣医師は、大学で全ての動物の全ての病気について学ぶわけではありません。それは当然と言えば当然で、大学の6年間だけで、地球上の動物について網羅することは不可能です。動物病院で実践的に必要な知識やスキルは、ほとんどを大学卒業後に習得することになります。

動物の病気は未知のものも既知のものもあり、すでにわかっている病気でも知っているか知らないかで初動に大きな違いが出ることがあります。

うちの動物病院は、いろいろな動物を診察していて、豚も診察対象です。診察の手順は、犬も猫も他の動物も大筋は大きくは変わりません。確定診断に向けて進めていく流れは、例え知らない病気やはじめてみる病気でも同じです。動物ごとに異なる病気があります。しかし、それが重要になるのは、診断に向けたフローでは最後の方です。

犬は前十字靭帯という膝にある靭帯が切れてしまうことがあったり、膝のお皿が脱臼を起こすことがあったりします。これらは猫ではとても少ない。ないこともないんですけど。

ちなみに、前十字靭帯断裂で行うTPLOという手術や、膝のお皿、パテラの脱臼整復手術などを大学卒業時点でできる獣医師はいません。このような手術をやっている獣医師は、大学を卒業してから、何かしらのトレーニングをしたはずです。

オス猫にとてもよくみられる尿道閉塞という怖い病気は、メス猫にはまずみられませんし、オス犬ではときどきみますが、オス猫ほど多くはありません。

牛にとって、第四胃変位という病気は身近なものです。しかし、犬も猫も馬も豚も、そもそも第四胃というものさえありません。

動物ごとに病気の種類や発生頻度に違いはあっても、診療の大きな流れは共通しています。先述のような個々の動物ごとの違いを考えるのは、診断へのプロセスでは最後の方です。

今回の豚さんは、腎臓病、膀胱炎を心配されて来院しました。以前にも同じことがあったようです。

強いストレスがかかるできごとがあり、その後から食欲が落ちました。さらに赤い尿をします。飼い主さんは、数年前に他の動物病院で治療した腎臓病と膀胱炎を心配されていましたが、ここは慎重に検討しなければなりません。

豚さんは立ち上がることができなくなっていました。血液検査の結果、確かに腎臓の状態が悪化しています。肝臓に関する項目も悪化を示していて、血清カルシウム値の低下とカリウムの上昇が認められました。

赤い尿は、膀胱炎の症状か否か。排尿の様子をみると、膀胱炎らしくありません。膀胱炎については、数年前にかかっていた動物病院から飼い主さんに伝えられたことで、当院ではまだ可能性の一つという段階です。さらに詳しく調べた結果、赤い尿はミオグロビン尿という、膀胱炎とは関係のないものだと判明しました。

ここで全ての所見から診断します。

・強いストレスがあった

・虚脱して立てなくなった

・赤茶色の尿が出る

・血液検査で腎臓関連の数値が上昇、カルシウムの低下とカリウムの上昇

これらは、豚のストレス症候群によるものです。他の動物ではまずみることのない病気です。

入院管理が必要で、点滴をして、必要な薬を投与して。特効薬がないので、治療をしながら治るのを待つことになりますが、命に関わることも多い病気です。

ご家族に、病気のことと今後についてのお話をしました。治ることを期待もしつつ、もしものことを考えて覚悟も必要、そのようお伝えをしました。しかし、なかなか難しいという印象です。

豚さんって、とてもかわいい目をしている。お家で心配されているご家族も、このつぶらな瞳で頑張ってる姿を思い浮かべながら、不安な気持ちでいらっしゃるのだろう。どうにか、ご期待に応えたいものです。