日本橋動物病院だより

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大きな決断でした。- 犬の肝臓がん –

暑い日が続いています。東京オリンピックも後半に差し掛かるところですね。選手の皆さんには、暑さ以外のところでは快適に過ごしていただきたいものです。

今回は、15歳の高齢犬の手術をしました。病名は肝細胞がん。健康診断で発見された肝臓の腫瘍を詳しく調べてみますと、それは放置すると命を脅かすものだとわかりました。手術をするか、しないかの中で、色々な迷いがあったと思いますが、ご家族は手術をすることを決断されました。

とっても元気な体重が5kgほどの小型犬の女の子。小さな頃から、かかりつけとして当院をご利用いただいており、ご家族の方とも、これまでも色々なことでお話をしてきました。

まずは、健康診断に始まり、肝臓に腫瘍があることがわかりました。次にCT検査を行いますと、それが肝臓の左側の一部に問題を起こしていることがわかりましたので、手術をして取り除くことができるという判断でした。しかし、この子には他にもいくつかの問題があります。心臓の病気と、副腎にも腫瘍があることがわかっていました。

心臓に問題がありますと、麻酔のリスクが高くなります。そして、副腎の腫瘍は、手術中に想定外の問題を引き起こす可能性があります。さらには15歳という年齢。そして、肝臓の手術は、難易度の高い手術です。

このまま肝臓の手術をしない場合の予後や、手術をした場合の予後を検討し、リスクのお話もしましたが、今回手術をすることになったのは、CT検査で発見された、胃の中の異物の存在でした。

CT検査で、胃の中に、何かの種のようなものが発見されました。検査のときには、その種は胃の中にあり、特に変わった症状も見せず、何も問題がありませんでした。しかし、お母さんは、これが一番苦しそうに見える。と、お話され、これは取り除いてあげたいとなり、それならば全身麻酔が必要で、内視鏡を使って取るかそれで解決しなければ胃切開をすることになり、いずれにしても、麻酔をかけるなら肝臓も一緒にという流れがありました。

胃の中にある異物は、かなり長期に胃の中に留まることがあります。そして、何かの拍子に吐き出すか、腸を流れてお尻から出てくるか、そして、最も心配するのは、胃の出口や腸に詰まってしまうことです。もし詰まってしまいますと、手術が必要です。

そのようなわけで、今回は、肝臓がんの手術と同時に胃に中から種を取り除く手術をすることにしました。

犬の肝臓は、いくつかのパーツに別れています。

大まかには、左側、真ん中、右側です。左側は、さらに、外側、内側に別れます。今回は、左の外側に起こった腫瘍です。

犬とは違い、ヒトの肝臓は、大きな一塊ですが、いくつかの領域として取り扱われます。見た目は一つでも、いくつかのパーツの集まりという見方をして切り取るところを決めることになっています。

今回は、犬の肝臓では唯一と言ってもよい、他の肝臓領域から独立した外側左葉と呼ばれる部位ですので、難しいとされる肝臓の手術でも、比較的やりやすいところではあります。そして、なぜか、犬の肝細胞ガンは、この外側左葉にできやすいとされています。

肝臓の手術は、何が難しいとされているかと言いますと、肝臓の血管の取り扱いです。そこには、動脈も静脈もありますし、血管とは異なりますが、胆汁を運ぶ胆管もあります。肝臓に入り込むものもあれば、肝臓がら出ていくものもありますし、肝臓の中心部分には太い血管、そして、その太い血管から枝分かれする網の目のように細かな血管があります。重要な血管を傷つけたり、誤って切断するなどすれば、致命傷になりかねません。基本的には、解剖学的にどこにどのような血管があるかはある程度は決まっていますが、同じ肝臓は一つもないと言われるほど、典型的な血管構造もあれば、個性的な血管を持つ肝臓もあります。

それらを丁寧に処理することで、安全な手術になるわけですが、いくら気をつけても、想定外は絶対にないとは言い切れませんので、手術計画の段階で、できるだけ多くの想定外を洗い出して、それぞれに対する対策を考えておくことがとても大切です。

以前に、肝臓がんの手術を学びたくて、大学病院に頼んで手術の勉強をさせていただいたことがあります。動物とは違い、ヒトの大学病院の裏側をみるのは初めてで、僕だけが獣医師、他は皆さん第一線で消化器外科の手術を担当されるお医者さんと言う環境での研修でした。消化器外科とは、肝臓、胆嚢、膵臓、小腸、大腸を取り扱うところですが、その病院は、ヒトの肝臓がんの手術では日本一の手術件数を手がけているところでした。

実際に、高齢の方の肝臓がんの手術を勉強させていただきましたが、驚いたのは、その手術方法のほとんどが地道な基本手技の繰り返しだと言うことです。そして、安全策が二重にも三重にも取られていました。また、高額な医療機器を駆使して、最先端の手術が展開されるかと思っていると、どちらかと言いますと、それとは反対で、如何に手を使うか、そして如何に医療機器に頼らないか、そのような手術でした。

細い血管も1本ずつ手作業で処理していきます。平均的な肝臓がんの手術では、200から300箇所の血管処理を手作業で行うと言うことでした。これが最も安全性が高く、出血量が少なく、残す肝臓に負担をかけない。医療機器、デバイスを使う方法が主流だとは思いますが、日本一の実績のある大学病院では、ほぼ全部の行程を手作業で進めていきます。

肝臓がんで使う医療機器は、いくつかありますが、主に使う物はハサミのようになっていまして、それで肝臓をゆっくりと切っていきますと、肝臓の中を走る血管を出血しないようにシールしながら切断できます。しかし、このデバイスを使いますと、体に残す方の肝臓にも熱の損傷が起こります。この熱損傷は、ごく僅かではありますが、できるだけ肝臓を大切に取り扱うなら、手作業に勝るものはありません。

今回の犬の手術も、この時の研修がとても活かされました。デバイスは、ある程度は使いますが、最小限にして、手作業での血管処理を多めに行いました。

使ったデバイスは、モノポーラ、バイポーラ、スプレイ凝固機能、超音波メス、超音波乳化吸引装置です。基本的には、これらのデバイスは何かあったときのための緊急用で、僕も基本に立ち返って、できるだけ手作業を中心に手術を展開しました。

あらかじめ、手術に必要な肝臓の解剖学的な情報は、事前に行ったCT検査を元に3D画像として確認済みだったので、特別に注意をするべき血管は頭に入っていました。しかし、お腹を開けないとわからないこともあるので、事前に準備できることと、その場でないと判断できないものがあります。

お腹を開けますと、まず肝臓には、大網と呼ばれる膜のようなものが癒着していました。癒着は完全に想定内でしたので、この癒着をどんどんと処理していきますと、腫瘍を含む肝臓がフリーになりましたので、そこからは外側左葉を全部取るか、腫瘍だけを取るかの判断ですが、事前の手術計画では腫瘍だけを取ることにしてありまして、実際にお腹を開いて肉眼で確認しても、肝臓の外側左葉全部ではなく、腫瘍だけを取ることで目的は達成できると判断しました。

肝臓の部分切除という方法を進めることにしました。肝臓の外側左葉のほぼ真ん中あたりの切り取るラインに電気メスで印をつけて、浅めに切り込みを入れます。そこから超音波乳化吸引装置を使って肝臓の組織を超音波で乳化しながら吸引し、血管や胆管だけを残していきます。これを骨格化と呼びますが、そうしながら、出てきた血管を糸を使って結紮したり、時には超音波メスでシール、切断をしたりしながら、腫瘍を少しずつ切り離していきました。最後は、かなり細くなった切り口を慎重に糸で結紮して終了です。この最後の糸はとても重要で、この糸が外れてしまうと大事故になることがあります。最後の糸を肝臓にかけて、ゆっくりと切断し、完全に腫瘍を取り除きました。

今回は、引き続き胃切開も必要でしたので、そのまま胃切開を行って異物を取り除いて全ての行程が終わりました。

入院を数日してもらう予定でしたが、この15歳の小型のワンコは、とてもとても元気で、手術の次の日から走り出しそうな勢いがありましたので、早めに帰ってもらうことにしました。

それから数日して、病理検査の結果が出ました。

腫瘍は肝細胞がんでしたが、全てキレイに取り切れているとのことで、再発や転移の可能性が少ないということでした。

15歳。まだまだ元気でいられると思います。