日本橋動物病院だより

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お父さんの涙 -犬の血管肉腫-

小型犬のお話です。およそ1年前からの話です。

健康診断で軽い貧血が見つかり、精密検査を行いますと脾臓に腫瘍があることがわかりました。

お父さんと相談をして、手術で腫瘍を脾臓ごと取ることになりました。

結構大きな腫瘍でしたが、小犬ちゃんは順調に回復し、お父さんを噛み付くくらいになりました。元々噛み付いていたのですが、手術の前後は、噛みつかずにいてくれたようでした。

数日の入院の後は、定期的に検査に来られています。この時に見つかった腫瘍は、血管肉腫と呼ばれるもので、かなり悪性度が高いものです。転移をすることが多く、転移をしたところで出血を起こすことがあります。それも、1箇所ではなく、色々なところに転移をして、それぞれの転移先から少量ずつの出血を起こし、結果として貧血になることもあります。

最近も定期検査を行い、問題が無いことが確認されましたが、その2日後に小犬ちゃんが突然調子を崩して来院しました。血液検査は定期的に行っていましたので、それ以外の検査を行うことにし、X線検査と超音波検査、いわゆるレントゲンとエコーの検査をすることにしました。

X線検査では、目立った異常を見つけることができませんでしたが、超音波検査では、肝臓の一部に異常な構造があることがわかり、その近くにわずかな液体が溜まっていました。この液体を調べるために細い針をさしてみますと、この液体は血液でした。

小さな転移から、少量の出血が起こっていることがわかりました。

こうなりますと、この出血が止まるのか続くのかによって、小犬ちゃんの運命が別れます。薬を使って、造血と止血ができるかやってみました。いつ、何が起こるかわかりませんし、急変があった場合に、救命処置が役に立つことはおそらく無いでしょう。

少しだけ脱線しますね。

救命救急で行われる、心臓マッサージ、人工呼吸器そして薬を使ったものを二次救命処置と言いますが、動物の場合に、この処置での救命率は9%ほどです。心臓マッサージで救命できたとして、退院ができるまでに安定することはさらに難しいものです。

最近、ヒトの医療で、駆けつけた救急隊員が、患者の救命処置を行わないことができるようになりました。呼ばれたけど、何もしないということです。この何もしないという決断は、救急隊員が判断するのではなく、患者本人、患者のご家族そしてかかりつけ医による判断によるものです。

どのようなことかと言いますと、患者も家族も、かかりつけ医と相談するなどして、救命処置を行わないことを決めていたとします。しかしながら、急変した患者に驚いた家族が、思わず救急車を呼んでしまうということがあるようです。そして、駆けつけた救急隊員は、呼吸が止まっている、あるいは止まりそうな患者に対して一次救命処置を始めるわけですが、家族から、救命処置は望まない旨を聞かされても、その場で止めることができませんでした。

このことは、人生会議と呼ばれる、どのような最後にするかという決め事ができていなかった場合で、とりあえず救急車という考えが呼び起こす問題になっていました。

そのようなことが多発したために、現場で救命処置を止めることができるようになったようです。

動物の場合も、同じようなことが起こり得ます。

特に末期のガンであるとか、心臓の病気であるとか、この先があまり長くは無いことがわかっている場合、僕はご家族の方に聞くのですが、救命処置を望まれますか?と質問をしますと、多くの方が望まないとおっしゃいます。

その中で、夜中に何かあったらどうしたらいいですか?と聞かれることがあります。この場合、救命処置が必要なこともあるでしょうし、救命処置ではなく、お薬でどうにかできることもあるでしょう。

僕がご家族にお話をするのは、もし夜間に何か起こり、夜間病院に行かれる時には、救命処置を望まれるかどうかを初めにお伝えくださいねということと、それ以外の治療を希望されるのか、されないのかも、お話くださいということです。ここで、とりあえず夜間病院ということですと、ヒトで起こるとりあえず救急車に近いことになるかも知れず、望まない処置が進むことも想定しておかなければなりません。

長い脱線でしたが、話を元に戻しますと、もしもこの小犬ちゃんが救命処置が必要になった場合には、それで命が救われることはかなり難しいということです。それでもご家族が望まれれば、最後の1秒まで頑張らなければなりません。

お父さんは、何かできることは無いかと聞かれます。

この小犬ちゃんのお父さんは、奥様とお子さんとは、このコロナ禍において別に生活されていまして、奥様、お子様は遠いところにいらっしゃいます。

この小犬ちゃんが、もしかしたら最後の日を迎えるかも知れないとのことで、数日の間だけ、奥様とお子様がお父さんと小犬ちゃん住むお家に帰って来られることになりました。

その数日間に、問題が起こりました。

お父さんが、遠方からご家族を呼ばれ、お友達にも状況をお話されたところ、そのお友達が、名医を知っているということで、急遽その名医のいる動物病院に行くことになったそうです。

小犬ちゃんに異変が起こってから、3日間、うちの休診日にも診察を希望されましたので、お休みの動物病院を開けて診察をしました。その翌日のことです。休診日の診察の次の日ですので、来院されると思っていましたが、来られませんでした。

夕方にうちの動物看護師さんが、お父さんからの電話を受け取りました。

相談がある。そういうお話でした。大学病院に行った。とのことです。

通常は、大学病院は、かかりつけの動物病院からの紹介がないと受診できません。どのような経緯で、うちを受診された翌日に大学病院に行かれたのか、しかも、いくつかある大学病院の中でも遠い所です。

診療時間がほとんど終わるというところで、お父さんが来られました。

先生、申し訳ないことをした。

お父さんの暗い表情は、滅多に見ませんが、この時はとても気持ちが沈んでいらっしゃって、静かに色々とお話してくださいました。

友達に小犬ちゃんのお話をされたところ、名医がいるから連れて行くということで、静岡まで車で行かれたとのことでした。お父さんは、うちの動物病院がある近所にお住まいでので、東京から静岡までのドライブです。そこで、結局は何もできないということで、次に大学病院を紹介され、その足で大学病院まで行かれたとのことでした。そこでも、できることはないということになり、結局長距離ドライブと2件の動物病院の受診で小犬ちゃんに負担をかけただけだったということでした。

さらに、遠方から小犬ちゃんのお見舞いに駆けつけてくださっているご家族との時間も短くなり、翌日にはご家族はまた遠くに帰って行かれるとのことです。

お父さんは、僕に何も言わずに、他の動物病院を受診されたことを謝りに来られたようでしたが、僕が知りたかったことは、その2件の動物病院で何か新しいことはわかったのかどうかということです。謝ってもらうようなことは何もありません。

それが、何もわからないんですよね。新しいことは何もなかったんです。

お父さんは、マスクをされていましたが、何度か涙を堪えていらして、時に声を詰まらせながら、僕へのお詫びの言葉を話されますが、お父さんは何も悪いことはされていませんし、むしろ、小犬さんに起こっていることを受け入れてはいらっしゃったわけですが、他にもできることはないのかを模索されていました。

周りのみんなで本当に一生懸命にやってもらって小犬ちゃんは幸せですね。

そうお話をすると、また引き続きよろしくお願いしますと言われて帰って行かれました。

それからまだ数日ですが、毎日来院され、小犬ちゃんも落ち着いてきました。いつ大きな変化が起こるのかは予測困難ですが、とにかく思い残すことができるだけ少ないようにと願っています。